自由は土佐の加茂より |
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岩柄のケヤキ伐採を頼まれて早朝から作業する。
前に茶畑、真後ろにミツバチ小屋があり倒すのは後方90度しかできない。 しょうがないのでそれぞれの枝にワイヤーをかけて引っ張りながら倒すことに。 何とか15時すぎには終了。 日暮れまで今年から借りた栗圃場内でワラビ収穫。 早速帰宅後はあく抜き。 #
by bx_16v
| 2010-04-13 19:20
| 食べ物/農業
予算がないのなら当のバンクーバーに選手より多い役員を送り込む必要はない。
たしかにオリンピックなどビッグイベントで役員による情報収集やロビー外交は完全に否定できない。 しかしその必然性のあるイベント誘致もなくルール改正等で折衝の必要があったのか。 ない、特にアルペン競技に関しては何もないのが実情だった。 アルペンはノルディックと違って一人の才能に頼る強化ともいえない実績しか残せていない。 その無策な日々を作った戦犯は長きに渡って強化責任者のあと何故か理事に昇格。 今回も役員待遇でバンクーバーに出向いている。 戦犯というならばSAJ自体がもはや組織として機能していないので彼に失礼か。 SAJ会長は規定により定年70歳、2008年9月の会長選挙では伊藤義郎(当時81歳)が当選。 当然この暴走ぶりは裁判沙汰となり今年1/27には東京地裁で地位無効の判決が出ている。 (ちなみに選挙選出時に規定無視の理由は「五輪など重要な大会を控えるから」=理解不能) 当然のことながら伊藤会長は控訴、情けないと言うより恥知らず。 湯浅所属のジャパーナ(スポーツデポ)は追加枠問題に関してSAJに質問をする。 結果 なぜ?スキー連盟 落選湯浅に回答「追加要望せず」 禅問答でもしたいのか追加枠の有無に関する質問に要望はしていないと。 追加枠の配分はFISにありSAJはその配分を請け選手派遣の有無をするだけだ。 このジャパーナに対するSAJの回答はまったく意味不明である。。 シュラドミングでの湯浅の滑りを見れば何としてでもバークーバーへ出させてやるべきだ。 まともな人間ならそう思うはずだが。 #
by bx_16v
| 2010-04-06 22:25
| スポーツ
しつこく掘り返していくと(データはFISサイトより)
1/26WCシュラドミングスタート前の時点でWCSLは佐々木26位・湯浅29位・皆川43位。 さらに1/31WCクラニスカ・ゴラスタート前になると佐々木と湯浅がWCSLともに22位。 (この時点で皆川はWCSL45位) 結局追加枠はなかったのかという疑問は否定も肯定もできぬままオリンピックは終わった。 3月になって日刊スポーツがこの問題を取り上げる。 「えっ!?日本は3枠だったのに断っていた」 日刊スポーツ自体はスキー専門記者がいるわけでもないのでこれは共同通信社の配信である。 配信元と思われる共同通信社の記者より裏付けるどころか 最近になってさらに驚愕の以下のブログがアップされた。 「わだかまり捨て4年後目指す アルペンスキーの湯浅直樹」 3枠どころか4枠とは!! スポーツ紙の飛ばし記事ではなくここに至る経緯のなかで重要な3人の証言が出ている。 ゲオルグ・ヘリルゲルSAJアルペンコーチほかFIS幹部とFIS選手委員長である。 この証言を詰めていくと次の結論に達する。 1/29の時点で追加枠分配の連絡がありながらSAJは追加要請をしなかったのである。 ゲオルグコーチはアルペン会場であるウィスラー入りしてからのコーチ会議で初めて事実を知り 既にその時点でエントリーが締め切られており現場サイドには何も知らされていなかったと証言。 この時点で追加要請を誰の判断で断ったかもが不明なままである。 児玉ヘッドコーチは「湯浅がいれば違う結果になっていた」と断言している。 この点については私も同感である。 完走が精一杯の皆川よりも湯浅がいれば佐々木の負担も軽くなっていた。 一人エースよりも複数でビッグイベントの重圧を減らすとした長野五輪の反省はどこに消えたのか。 追加枠の予算がなかったのか、それすら怪しい。 #
by bx_16v
| 2010-04-05 21:46
| スポーツ
当初アナウンスされていたSAJの選考基準は以下の通り。
①2009/2010 FISワールドカップスターティングリスト(WCSL)30位以内の選手 ②2009/2010シーズンにおいて(全種目共通) FISワールドカップ30位以内1回かFISヨーロッパカップ6位以内の成績を収めた選手 当初の期限は2009年末とされていた。 12/21アルタバディアWCにて佐々木16位・湯浅23位・皆川24位となり3人が②を満たす。 この時点で2枠だったことからSAJは選考期限を1/17まで延長する。 年明け以降佐々木が好調で15位・21位と連続でWC入賞、WCSLが28位となり①も満たし確定。 この間湯浅と皆川はお互いにトキ(途中棄権)が続き決め手のないままであった。 迎えた1/17ウェンゲンWCで皆川20位湯浅25位、いつも煮え切らないSAJがさっさと皆川に確定。 JOCの壮行会に夫婦揃って出て話題作りという狙いを何とか達成できたわけである。 直後は引退を匂わす発言もあった湯浅であるがこの後吹っ切れたのか絶好調となる。 翌1/18にヨーロッパカップSL6位入賞、さらに1/22・23とヨーロッパカップで2連勝してしまう。 おまけに1/26シュラドミングWCでは8位とここ2年の日本勢で最高順位に入賞。 (ちなみに皆川はウェンゲン以降はシュラドミングでやっとこさ21位入賞 もうトリノ五輪のような切れは見られず2本目に残って20位台を確保するのがやっと) 過去の例からも出場枠の増加は確実だったがいっこうにその話は伝わってこなかった。 そして本番では佐々木18位、皆川はスタート直後にトキ。 #
by bx_16v
| 2010-04-04 23:16
| スポーツ
いまさらの話になるがさすがに全く納得できないので書く。
大好きなアルペンスキーのバンクーバー五輪の日本勢は何も結果を残せずに終わった。 出場は男子2名SLのみ、佐々木18位皆川DNF(途中棄権あるいはトキとも言う)。 皆川はトリノ五輪ではメダル寸前4位入賞したがその後膝の靱帯を痛める大きな怪我もあって低迷。 正直この2年間の滑りの内容を見ればとてもトリノの再現は不可能であった。 この間日本は佐々木・皆川・湯浅(トリノ7位入賞)の3人をほぼ固定して戦ってきた。 FIS(国際スキー連盟)から割り当てられたバンクーバーのアルペン男子枠は2名。 佐々木は低迷しつつあるがワールドカップ(以下WC)2位入賞3回を誇るエース的存在。 (的という時点で現在の世界的な位置づけと個人的感情を理解願いたい) まあ何とかギリギリの状態で2009年内に当確となって残りは1枠となった。 にも関わらずSAJ(日本スキー連盟)は選手選考対象レースを引き延ばした。 当初2009年末には最終決定という予定は延びに延びて1月17日のWCウェンゲンSLレースまで。 ここまで皆川と湯浅で両者ともに決め手がなかったのは事実である。 かろうじてウェンゲンで皆川がぎりぎりの基準になるや即決定となった。 はっきり言えば話題を作りたかっただけ、皆川は上村愛子(モーグル)の亭主である。 夫婦揃っての五輪出場でマイナーなスキーの話題を盛り上げたかったのだろう。 ややこしくなるのは直後のヨーロッパカップで湯浅が2連勝を成し遂げた上に 1月26日のWCシュラドミングSLで過去2シーズンの日本勢の最高成績8位に入賞したこと。 ヨーロッパカップはWCの一つ格下コンチネンタルレースとなるがここで勝つのは並大抵の事ではない。 もちろん現地で見たわけではなくスカパー!で観たにすぎないのだが レース前のインスペクション(コース下見)中にも膝を気にする仕草があった皆川と湯浅を比較すると 絶対的に湯浅のほうが連続入賞の可能性は高く、個人的には入賞していたと思われる。 この時点で他国の返上した出場選手枠が日本に割り当てられる可能性が高いのではいう情報があり 過去の例からも+1の3名出場が可能だろうと思われていた。 #
by bx_16v
| 2010-04-01 23:06
| スポーツ
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