自由は土佐の加茂より


昭和30(1955)年の合併で消えた加茂村より雑感発信
by bx_16v
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積雪10cm

朝から岩柄へ出向くが積雪多く栗の剪定は諦める。
栗の生育に支障となるつつある杉檜の間伐(地主さんには承諾済み)を行う。
樹齢20~30年程度の木を6本倒し、枝を落とした後に小分けする。
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栗圃場に落ちないようにワイヤーを掛けながらだったので手間取った。
夕方には路面の雪はほぼ消えており、雨ヶ森登山も夏タイヤで何とかなるだろう。
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by bx_16v | 2009-12-22 21:40 | 薪ストーブ

剪定

午前中に猿田洞ガイドを行い午後から岩柄へ。
栗の剪定を行っていたのだが15時ごろから雪が強くなり足場の問題もあるので16時に中止。
積雪7cmほどで気温プラス2℃、風がないのが救い。
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本当は12/23までの予定で終わらすはずだったのだがこの降り方では不可能。
帰り「せせらぎ亭」でうどんを食べて暖をとり、店主安部さんと廃集落の話で盛り上がる。
瓜生野小学校前のお婆さんも入院で自宅を離れた事がわかった。
もはや限界集落を通り越して限界自治体になりつつある、いやなっているというのも過言ではない。
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by bx_16v | 2009-12-20 21:46 | 学校/地域

野ウサギ

12/15は岩柄で薪作り。
雑木林の中のクヌギ・栗を倒して小分け、登山道横にトタンをかぶせて積み重ねる。
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春先に子供を捕まえたがその後も野ウサギが増えている。
あちこちで糞を見るようになり、かじられた葉を見かける。
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岩柄周辺では昨年暮れからシカの目撃例が相次いでおり思いの外進出が早かった。
あと2~3年先かと予想していたが上名野川でも目撃されており本川方面からの南下は早い。
いっぽう佐川町でも朽木峠の北で目撃されており東津野方面からの北上も早い。
天敵が皆無の状態で駆除だけが対策という綱渡り状態でこれ以上の増加を押さえるのは無理だろう。
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by bx_16v | 2009-12-16 09:31 | 学校/地域

薪運び

12/13日曜日は遠く手箱山と佐川町永野を見下ろす山中で薪作り。
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雑木を5本切り倒して30cmに小分けして積み重ね来年用に。
昨年積んでおいた一山を積み込み下山する。
今週は冷え込むのでやっと手箱も本格的な冬景色になるだろう。
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by bx_16v | 2009-12-14 09:29 | 薪ストーブ

若山集落跡へ

仕事で本川村(現いの町)寺川へ出向いたのでそのまま伊留谷林道へ。
大森ダム湖を越えて弘沢林道に入り槙峠で池川町(現仁淀川町)となり少し下って若山林道へ。
若山林道終点にはかつて若山という集落があったが既に消滅している。
集落といっても4~5軒の人家が山中にあったのみである。
若山林道が完成したのは平成の初めで集落消滅の後ではなかったかと思う。
それまでは若山橋から徒歩3時間ほどの手段しかなかった。
もっとも殿御舎に営林署事業所があって集落があった時代には山越えで1時間半ほどだったそうだ。
(後述する最後の住民から直接聞いた)
若山橋に下ったところで何もなく安居宮の平まで出ないと商店も郵便局も当時はなかった。
それよりも殿御舎に行く方が近く一通りの用事は事足りていたそうであるが
殿御舎も営林署事業所閉鎖で1973(S48)年に住民皆無となった。
若山集落の消滅は旧池川町役場や地元の知人に聞いてみたがはっきりとした時期はわからなかった。
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↑ 手前から見た若山集落跡 
  写真中央下を占める伐採地の右端やや上にちょっとした空き地と竹藪、ここに2軒ほど
  空き地の左の人工林の中に2軒ばかり
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林道終点の少し手前から踏み跡を辿ると人工林の中に廃屋が見えてくる。
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30年ほど前に安居渓谷から松茸を採りに入り山中を這い上がって偶然若山に出た事がある。
その時点でお婆さん一人が残るのみで上記写真の廃屋がその家だったように憶えている。
殿御舎への山越えの話や安居銅山の話を聞かせてもらったうえに山菜のお土産までいただいた。
今年になって葛浦・栗見・若山と池川の廃集落を訪れてみた。
他にも雑誌山・川舟・蕎麦尻(厳密に言うとここはかつろう谷遡行の際に通っている)など。
これからこういう景色はいくらでも増えていくのだろう。
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by bx_16v | 2009-12-07 21:25 | 学校/地域

旧大森トンネル

今日は本川村(現いの町)の林道大座礼線へ出向く。
日陰には雪が残っており稜線は霧氷で覆われていた。
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↑ 寒風山     ↓ 笹ヶ峰
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林道周辺での仕事が終わり帰路途中で旧大森トンネルへと向かう。
現在R194が抜けている大森トンネルは1978(S53)年完成でよく新大森トンネルと呼ばれている。
上部にはかつて辞職峠の異名があった程ヶ峠がありそのショートカット路線としてトンネルができた。
ややこしいことに旧大森トンネルの上には旧々大森トンネルがある。
要するに三代のトンネルがあるわけでいずれも車道というのは珍しいらしい。
旧々(初代)竣工は1935(S10)年、旧(2代目)竣工は1960(S35)年となっている。
脆い地質と地下水の出水でトンネルとしては比較的短命に終わっている。
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↑ 旧大森トンネル(対抗口が見えている)     ↓ 旧々大森トンネルへの分岐路
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数年前の土砂崩れで新大森トンネルが通行不能になった際には旧トンネルの復活が検討された。
実際には緊急車両のみ旧トンネルの通行可能となり鍵が関係部署に貸与されていた。
やはり壁面の崩落や水たまりの問題で一般車両の随時通行はとても認められなかったのだろう。
現状でも旧大森トンネルは通行可能な状態で施錠されているように見えた。
初代の旧々大森トンネルはさすがに土砂に埋もれつつあるらしい。
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by bx_16v | 2009-12-04 21:11 | 学校/地域

りょうま

シティタワー建設現場と言われてもさっぱり場所がわからなかった昨日の火事。
ピカデリー跡と言われてやっと納得した。
知人から写真を拝借できたので状況写真を。
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高知県の防災ヘリ「りょうま」はシコルスキーS76Bという高性能ヘリでかつパイロットも腕利きである。
四国の他県防災ヘリや高知県警のヘリでもまったくかなわない。
昨日の火災でも18人を2往復でピックアップしているがここに大きな違いがある。
高知県警のヘリ「くろしお」では2人同時の吊り上げができないのでまず対応不可能。
四国他県のヘリは可能だが川崎BK117なので基本的な積載重量の問題がある。
おそらく18人のピックアップだと最低5往復は必要だっただろう。
ここで引っかかるのが燃料、S76Bは2時間無給油だがBK117は1時間しか持たない。
BK117は燃料切れになり給油に帰らねばならず日没となって時間切れとなっただろう。
(ヘリは基本的に夜間飛行はほぼ不可能、一部の軍レンジャー部隊を除く)

以前物部村(現香美市)で「りょうま」の山岳救助を実際に見たことがあるが
崖ぎりぎりを下降してプロペラをぶつけながらホバリング、無事遭難者をピックアップしていた。
その際の修理費用は数千万円と聞いたがヘリの性能をフルに活用できる凄さを実感した。
橋本前知事が導入したこのS76B、当時は高い買い物だと言われているが
現在実用的な面では近県からも一目置かれる存在となっているらしい。
支持母体の影響かやたら前知事のさまざまな事業を一方的に切り捨てる傾向が目立つ現知事は
「りょうま」については当面存続するのだろうか。
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by bx_16v | 2009-12-03 22:39 | 学校/地域

椿山から栗見へ

仕事で2年半ぶりに仁淀川町(旧池川町)椿山を訪問。
前回と前々回に話を伺ったおばあさんがまだ健在だった。
前回からさらに1世帯減ったらしく10世帯14人(入院中の方を含むので実質はもっと減る)。
一番の若手は67歳だそうで、岩柄といい勝負になってきた。
20数軒の家屋が残っているが居住者のいない家屋は半数以上が朽ち果てている。
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↑ 椿山林道から     ↓ 大規模林道から
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椿山の後は用居へ向かい林道を走って岡田屋敷峯から栗見へ。
栗見は地図によっては何故か竹ノ谷東とも記載されている。
長い間車道が通じていなかったため用居川沿いの赤藪か、岡田屋敷峯からいずれにしても徒歩。
最後の住民がいなくなったのは約10年ほど前らしいが今は藪の中に消えつつある。
数年前に上部を林道が通ったので何度か訪問していたが降り口がわからず敗退を繰り返していた。
今回元住民からの話や古い航空写真を基に何とか場所を特定したので訪問。
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数軒の廃屋が自然に還りつつあった。
林道上には墓が残されているのでまだ訪れる関係者はいる模様。
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by bx_16v | 2009-12-02 21:58 | 学校/地域


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