自由は土佐の加茂より


昭和30(1955)年の合併で消えた加茂村より雑感発信
by bx_16v
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屋台

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今日は高知市内での仕事だったので山内神社東の屋台で昼食。
初めて来たのは保育園の頃だった記憶があるが、今でも月に2~3回はここに来ている。
このおばちゃんは今年で40年ここに屋台を出し続けているそうだ。
自分は亡くなった祖父に何回か連れて行ってくれてからなので35年ぐらいか。
思い出してみると競輪好きの祖父が孫を口実に競輪通いしていたわけだ。
以前の競輪場はこの上にあるクスノキに登ればゴールが丸見えであった。
高校で自転車競技を始めて競輪場を使って練習をするようになった。
ゴールから見ると大きな木と屋台がはっきり見えていた。
すぐ南側には南国橋という木造の橋もあって競輪場へ向かう人で賑わっていた。
おばちゃんの屋台も当時は一段上にもう少し大きな屋台を構えていた。
今でも値段は当時のまま、ホットドッグ¥100/焼きそば¥150/うどん¥150など。
今日は焼きそば大盛り¥300、すぐ横のテーブルでおばちゃんと雑談しながら食べる。
年明けに自転車に当て逃げされて怪我をしていたが少し休んだだけで元気にやっている。
おばちゃんももう80歳を越えているがいつまでも続けて欲しいと思う。
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by bx_16v | 2007-04-25 23:04 | 食べ物/農業

うどんだどーん

今日は高松市で仕事があったので讃岐うどん巡り。
高松空港近くのお客さんなのでその手前の円座町で3軒ハシゴ。
まずは空港へ向かう近道の途中のマルタニ製麺。
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かけ(小)とイカかき揚げで合計¥280也、ここは器の上げ下げのみセルフ。
軟らかめの麺が煮干しのよく効いた出汁にあっていて好みである。
天ぷらは甘みのある独特の味、いつもは金時豆の天ぷらなので今日はイカにした。
2軒目は走っていて見つけた宮西製麺所(店名は優作)に飛び込んでみる。
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聞いたような店だなと思ったらマルナカに卸をしているとの事。
かけ(小)と竹輪天で合計¥210也、するっと入る感じの麺。
まず器の大きさが玉数になり欲しい玉数の器を選んで麺を入れて貰う。
その後そのまま出汁をかけるか自力で温めて出汁をかけるセルフ形式。
3軒目は栄美、ここは前2軒とは違ってセルフオンリーのお店。
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玉数を言って後は自力で行う。
かけ(小)とかき揚げ合計¥210也、つくづく香川県人がうらやましい。
細めの麺が昔風のイリコ出汁とよくあっている。
かき揚げは見た目と違って中に昆布や芝エビが隠れている、ビールが飲みたくなる。

香川県で仕事の際には徹底してうどんを食べているが本当に飽きない。
ちなみに行くお店はセルフか製麺所がほとんど、マイリミットはかけ(小)で¥250までか。
基本的にはかけ以外のいろいろ載せるうどんは嫌いである。
そもそもこっちのお店は天ぷらやおにぎりのサイドメニューも安くておいしい。
最近高知でうどんをまったく食べなくなってしまった。
今日は新規開拓の宮西製麺を入れて3軒制覇。
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by bx_16v | 2007-04-24 22:05 | 食べ物/農業

横浜マリノスの不振2

柏時代には鶏を追いかけるだけのトレーニングなどパフォーマンスにしても?の指示が多かった。
今回の監督就任時のコメントは「前がかりで相手をおもちゃにした強い日産サッカーの復活」。
木村和司や水沼貴史のいた黄金時代を復活させるという意気込みだけはよかった。
しかし久保・奥の去ったマリノスにその役割を果たす選手はいない。
サイド攻撃の起点であったドゥトラも解雇、あまりにも主軸を失いすぎた。
急ぎ獲得した鈴木隆行はもともとチームプレイの中で泥臭く点を獲るFWである。
確固たる中盤の展開力に欠ける今のマリノスでは鈴木を生かすのは難しい。
さらに早野監督はDF松田直樹をボランチにコンバートするという暴挙に出ている。
松田はジーコとの不仲からW杯ドイツ大会の代表から漏れたものの能力は際だっている。
(中田英寿が最後まで解決しない問題と述べたのは松田の代表漏れという意見は多い)
183cmの体躯と当たり負けしないフィジカルの強さ、攻撃的すぎるという難点はあるが。
松田のプレースタイルは自チームバランスを崩してでも相手の攻撃の目を潰す事が多い。
その松田にチームの舵取り、即ちバランスをとる役割を要求するのは無理がありすぎる。
そして試合を見るとマリノスのバランスはガタガタである。
バランスを無理にとろうとして引いてしまう、結果中盤が間延びして前線は孤立する。
ロングボールを放り込むだけになるが高さのある松田・中澤は後ろにいるのでつながらない。

左伴社長は6月で退任するという、自ら招いたコスト優先人事の結末を見届けもせず。
このままでは晩秋の残留争いに食い込むのは間違いないのだが。
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by bx_16v | 2007-04-21 23:29 | スポーツ

横浜マリノスの不振1

横浜マリノスが低迷を続けている、6節(試合)を終わって13位とは酷すぎる。
得点は5点、失点は9、得失点差は-4となっている。
一番の得点源であったFW久保の流出を招いた時点で多少の予感はあった。
親会社なみのコストカッターを目指したのか、左伴社長は数字だけを追いかけた。
結果年俸総額の圧縮に走り、久保はチームを去り低年俸の早野宏史氏を監督に招いた。
しかし過去の実績を見ても早野氏に今のマリノスを立て直す力があるか、甚だ疑問である。
たしかに1995年にJ1制覇をしているがホルヘ・ソラリ監督の病気辞任で監督昇格しただけ。
しかも就任後は低迷しソラリ時代の貯金でかろうじて優勝、翌年には更迭されている。
更迭後はNHKの解説者を務めたが戦術論よりも下らない駄洒落しか語れなかった。
その後ガンバ大阪での監督時代(1999-2001)は4位から13位と微妙な成績だった。
最悪だったのは柏レイソル監督時代で(2004-2005)であった。
Jリーグ発足以前からの名門日立を引き継ぐチームを途方もない不振に沈めた。
2004年こそアビスパ福岡との残留決定戦で辛勝しかろうじてJ1に残留。
しかし翌年はJ1下位を独走し圧倒的有利を予想されたJ2甲府との昇格戦で惨敗。
第1戦を1-2で落とし後がない第二戦で往復ビンタ状態の2-6で完敗。
甲府FWバレー一人に6点を許すという信じられない失態を犯した。
柏の選手から「決まり事がほとんど無くて中途半端だった」というコメントが出る酷さであった。
これはこの一戦に限った事ではなく、年間を通じてだった。
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by bx_16v | 2007-04-20 23:32 | スポーツ

経緯すべてを書くべき

東洋町の高レベル放射性廃棄物最終処分場の候補地調査を巡った町長選挙が決定となった。
頃合い良しと判断したのだろう、高知新聞で「夢の轍~岐路に立つ東洋町」という特集が始まった。
第一回目は「まぜの里」というリゾート計画から今回の立候補地に触れている。
今回の騒ぎの根底を可能な限り遡るのか、それともこのバブル期からの時系列で始まるのか。
後者であれば非常に残念だと思うほかないのであるが。

前者ならば今回の騒ぎの要因にある東洋町内の対立の歴史に触れずにはいられないだろう。
既に半世紀近く前の話である故に多くの県民も知らないだろう。
もちろん自分とて全てを知っているわけではないのであるが。
東洋町は1959(昭和34)年に甲浦町と野根町が合併して誕生している。
庁舎位置は最後まで決まらず、と言って合併は既定事実としていたらしい。
苦肉の策として「庁舎の位置は2年交代として、4年後に決定する」として発足した。
このため2年ごとに野根と甲浦を引っ越しするという効率化とは無縁の行事が続いた。
到底4年では解決するはずもなく10年を迎えた1969(昭和44)年、騒動が勃発する。
町議選で条例改正に必要な3分の2の議員定数を確保した野根側が強引に行動する。
初議会で「昭和45年野根への庁舎設置」を強行議決、甲浦はこれに猛反発する。
そしてこの議決を巡って町は2分する騒ぎになる。
当時を知る人に聞いてみたのだが野根側の議員増になったのがすべての原因だったらしい。
これについては長年の深慮遠謀の結果という事は全くなく、たまたまだったというのが笑える。
それでも即座に行動するあたりが根の深さを物語っているように思える。
閑話休題、この議決は今回以上の大騒ぎとなり行政機能は完全にマヒする。
町議全員のリコール、分町運動となって火を噴き、事態は町内での収拾が困難になる。
高知県が仲介に入って説得し、ようやく撤回、議会が自主解散した。
このあたりの構図は今回とまったく同じである。
即ち賛成派=田島前町長=野根vs反対派=甲浦である。
田島前町長の住所が甲浦、反対派沢山候補が野根になっているので誤解し易い。
ちなみに庁舎問題はその後も延々と引っ越しを続けていたが両庁舎とも老朽化。
1985(昭和60) 年、合併26 年目にしてようやく中間地点の生見に完成している。

なお高知県内で戦後市町村史の発行されていない自治体は2つある。
東洋町はその1つで関係者に聞いてみると「とてもまとまらん」そうである。
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by bx_16v | 2007-04-12 23:21 | 学校/地域

白髪集落で敗退

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昨日は芸西村へ行き、芸西小学校白髪分校跡を訪問。ここは1973(昭和48)年に集落が集団移転しており、既に33年間住民の姿が消えている。まず自動車で行けるのかどうかも定かでないので、役場で情報収集。集落跡までの林道は何とかわかったが、役場職員でも訪れた人がほとんどいず(住民がいないから当然か)学校跡の場所については不明なまま。
 村内から直接の道はなく安芸市八流から林道を11kmほど、海岸そばから標高400mの山頂台地まで一気に上がる。途中からは崖っぷち当然ガードレールは無し。幅2mほどだが急なカーブではアトレーでも冷や冷やする。40分ほどで廃屋の点在する集落跡に出た。しかしもはや何もかもが藪の中、探しても学校跡はわからぬまま時間が過ぎてしまった。さすがに暗くなったこの林道を走る勇気はなく撤退。ここは元の住民を捜すか何かしないと自力では無理。
 このように集落自体が消滅した廃校はいくつかある。その中で一番取材が困難ではないかと予想しているのが仲木屋分校(夜須町)と上岡分校(物部村)、どちらも集落消滅以来40年近く経っている。しかも今でも車道がなく徒歩1時間程度という事前情報がある。ちなみに仲木屋分校は昨年秋に最寄りの林道から双眼鏡で偵察したが、さっぱりわからず一度敗退済み。別の意味で困難なのが大河内小中学校(土佐町)、ここは早明浦ダム湖に沈んでいるため困難を通り越してたぶん無理。ちなみに土佐町職員に聞いても渇水期でも泥の中に埋もれていると断言された。
 とは言え何か手段を講じないと休校廃校の取材はできぬ。実際のところは450校を越える現在、いったいいつになったら全部の取材ができるか自分でもわからない。しかもまだまだ増えるのは確実だし・・・・。
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by bx_16v | 2007-04-04 23:04 | 学校/地域

今でもスキーを愛す5

この頃は各県の選手権でもDHレースを行っている県連がいくつかあった。
野沢温泉では高速系のレーシングキャンプも行われていた。
元々の大会数は少ないもののポイント獲得自体はそう難しいものでもなかった。
今のように皆無ではないからA級大会へのステップアップはすぐできた時代であった。
レースを志して3シーズン目は公式戦に出て運良くDHとSGのポイントを獲れた。
厳密に言えばGSもいくつかポイントは獲った(SLは論外)。
ケスレーの板は一筋縄ではいかないもののそれなりに気に入っていた。
何より大会に出ても周りにケスレーを履いている人間がまずいないというのが一番だった。
当時はスキーブーム真っ最中であったがまず見かけなかった。
この頃高速系の板を出していた(日本で入手可能だった)メーカーは思ったより多い。
海外組ではロシニョール・アトミック・ブリザード・フィッシャー・ヘッド・エラン・ケスレー・クナイスルなど。
国産組でもヤマハ・西沢・ミズノ・井村製作所など(憶えている限り)。
サロモンはまだ板には進出せずにブーツとビンディングで稼いでいた。
やがて押し寄せる大不況の大波いや津波を誰も予測していなかった。
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by bx_16v | 2007-04-01 21:20 | スポーツ


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