自由は土佐の加茂より |
カテゴリ
以前の記事
2015年 01月 2011年 02月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 お気に入りブログ
メモ帳
|
この頃は各県の選手権でもDHレースを行っている県連がいくつかあった。
野沢温泉では高速系のレーシングキャンプも行われていた。 元々の大会数は少ないもののポイント獲得自体はそう難しいものでもなかった。 今のように皆無ではないからA級大会へのステップアップはすぐできた時代であった。 レースを志して3シーズン目は公式戦に出て運良くDHとSGのポイントを獲れた。 厳密に言えばGSもいくつかポイントは獲った(SLは論外)。 ケスレーの板は一筋縄ではいかないもののそれなりに気に入っていた。 何より大会に出ても周りにケスレーを履いている人間がまずいないというのが一番だった。 当時はスキーブーム真っ最中であったがまず見かけなかった。 この頃高速系の板を出していた(日本で入手可能だった)メーカーは思ったより多い。 海外組ではロシニョール・アトミック・ブリザード・フィッシャー・ヘッド・エラン・ケスレー・クナイスルなど。 国産組でもヤマハ・西沢・ミズノ・井村製作所など(憶えている限り)。 サロモンはまだ板には進出せずにブーツとビンディングで稼いでいた。 やがて押し寄せる大不況の大波いや津波を誰も予測していなかった。
by bx_16v
| 2007-04-01 21:20
| スポーツ
|
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||